子どもの権利条約の父に学ぶ

今日はホストファミリーの話しを少し離れて、ポーランドについてお話しさせていただきます。

ホストファミリーをしていると、いろいろな国の人と知り合うことができます。私たち日本人が知らなかった様々な国の文化や歴史を知ることもできます。

映画やTVの中でしか知らなかったポーランドに旅行する機会を得たため、私が調べて知ったことなどをシェアさせていただきたいと思います。

 

◆2つの孤児院

1912年、ワルシャワのクロフマルナ通りに「ドム・シエロ(孤児たちの家)」という名の孤児院がオープンしました。

その7年後、この「ドム・シエロ」の運営者は、ワルシャワ郊外のビェラヌイに「ナシュ・ドム(僕たちの家)」という名の孤児院をオープンさせました。

 

当時、クロフマルナ通りは多くの貧しいユダヤ人がいました。ノーベル賞作家であるI・B・シンガーの作品によると、当時のクロフマルナ通りは「引越し荷物もあっという間に奪われてしまうほど」で「小さな子供も使い走りをして働きます」というような、貧しい地域でした。
そのような事情もあり、先に作られたドム・シエロはユダヤ人のための孤児院でした。

1919年にオープンした2つ目の孤児院であるドム・シエロは、ポーランド人のための孤児院でした。

 

ここでポーランドの歴史を少し確認しておくと、ポーランドという国は1795年から1918年までの123年間、実質的には存在していませんでした。
というのも、ポーランドは1795年にロシア・プロシア・オーストリアの参加国によって3つに分割されてしまったからです。

ようやく1918年にポーランドは独立するのですが、その時ポーランドにはポーランド人の孤児が多くいました。そこでドム・シエロが作られたのです。

 

この2つの孤児院の運営者は、ワルシャワ生まれのヘンルィク・ゴールドシュミットです。日本では「コルチャック先生」として知られている人です。

 

◆コルチャック先生といえば

コルチャック先生をご存知でしょうか。コルチャック先生といえば、子供の頃に本を読んだことのある人もいるかもしれませんが、念のため軽く紹介します。

 

ヘンルィク・ゴールドシュミットは医学生だった時、ヤヌシュ・コルチャックの名前で戯曲『どの道を』でパデレフスキ賞という新人賞を受賞し、小児科医として働く傍ら作家としても活躍し、のちには作家でありながら孤児院の運営もするという多忙な人でした。

1918年に書かれた『いかに子供を愛するか』では「”子供の権利の大憲章”の必要性」を述べており、これが第一次世界大戦後の1924年に国際連盟で採択された「ジュネーブ宣言」に影響を与えたと言われております(ただしジュネーブ宣言について批判的な意見を1929年に発表された『子どもの権利の尊重』で述べています)。

そんなこともあり、コルチャック先生のことを「子どもの権利条約の父」と呼ぶ人もいます。

 

参考までに、1979年にポーランド政府が設けた「ヤヌシュ・コルチャック賞」という国際的な賞があります。この賞は子どもの権利や福祉のために活動した作家や著述家、人道主義的な価値の実現に貢献した人たちに贈られます。
以前、このコラムで黒柳徹子さんの『トットちゃん!』というドラマの話を書きましたが、1981年に日本で出版された黒柳徹子さんも『窓ぎわのトットちゃん』で1985年に「ヤヌシュ・コルチャック賞」を受賞しています。

 

ところでコルチャック先生の本名であるヘンルィク・ゴールドシュミットですが、この「ゴールドシュミット」という名前は「金細工師」を意味する言葉で、いかにもユダヤ人の名前です。

確かにコルチャック先生はユダヤ人で、それが故にコルチャック先生も苦労をします。

 

◆ドイツの動き

1933年、ナチス・ドイツが誕生します。

1934年、ポーランドはナチス・ドイツと不可侵条約を締結させられた上、翌1935年には悪名高い「ニュルンベルク法」(ユダヤ人のドイツ市民権を奪う法律)がドイツで公布されます。不可侵条約を締結していたポーランドでもユダヤ人に対する風当たりは強くなります。

周辺諸国を次々と支配下に置くナチス・ドイツは、1939年4月に不可侵条約を破棄し、代わりにロシアと不可侵条約を結びます(これによってポーランドはイギリスとフランスの2カ国と相互援助条約を結ぶことになります)。

当時の位置関係を確認しておくと、ナチス・ドイツとロシアの間にポーランドは挟まれています。

それから5ヶ月後の9月1日の早朝、ナチス・ドイツは宣戦布告なしにポーランドに侵攻するとともにワルシャワを攻撃しました。
実はこの時すでにナチス・ドイツとロシアの間には、ポーランドを流れる川の向こうとこっちでポーランドを分割してそれぞれナチス・ドイツとロシアのものにする取り決めがなされていました。そんなこともあり、ロシアもポーランドに攻め入り、1ヶ月もしないうちにポーランドはナチスドイツとロシアに分割されてしまいました。

こうなるとポーランドで何が起きるかは、もうご存知でしょう。ゲットーと呼ばれるユダヤ人だけを隔離する街ができたと思いきや、そのゲットーを廃止してゲットーの中の人を全てアウシュビッツなどに代表される強制収容所に送られるのでした。

 

コルチャック先生は売れっ子の作家だったので、ラジオ番組を持っており、そのラジオ番組も大変人気があったのですが、それも1936年に突然打ち切られました。

1938年にラジオ番組は再開し、1939年にドイツ軍がワルシャワを攻撃した際もラジオ局が閉鎖されるまで「落ち着いて」「抵抗と沈着な行動を」と呼びかけ続けていました。

一旦ラジオが打ち切られた1936年について言えば、2つの孤児院のうち、ポーランド人のための孤児院「ナシュ・ドム」についても、その運営を立ち上げからやってきたポーランド貴族出身者から「今後はナシュ・ドムとの関係を一切持たないように」と言われてしまいます。

ユダヤ人のための孤児院「ドム・シエロ」も1940年11月にゲットー内部にある学校の建物に強制的に引越しとなりました。

 

◆コルチャック先生の夢

2つの孤児院を運営することになったコルチャック先生には夢がありました。それは2つの孤児院が交流することです。

ユダヤ人の子供とポーランド人の子供が互いに理解し合うことを目指していました。

『コルチャック先生』(近藤康子・岩波ジュニア新書)によると「未来の社会に希望が持てるとしたら、それは政治が良くなることではなく、人間が良くなることだから」ということをコルチャック先生は頻繁に言っていたようです。

 

コルチャック先生は、ナチス・ドイツからの迫害から逃れるために「イスラエルに来ませんか?」というお誘いを元同僚からもらっていました。

2回、コルチャック先生はイスラエルを訪問したのですが、その時、元同僚がいた施設ではアラブ人とユダヤ人が一緒にジャガイモを焼いていたのに感動しました。

コルチャック先生は、ポーランドでもポーランド人とユダヤ人が一緒に何かをすることを夢見つつ、「なお2,3年ワルシャワにとどまり、できるだけのことをやってみたい」と手紙を書いています。

 

そんな中、1941年のクリスマスをコルチャック先生とドム・シエロの孤児たちはゲットーの中で迎えます。
ゲットーの出入りは物凄く制限されており、ゲットーの外から中に何か物を持ち込むのがバレると射殺されるような状態でした。

その年のクリスマスに、ちょうど1台のゴミ運搬トラックが、いつものように検問を済ませました。このゴミ運搬車は検問をすませるとドム・シエロを目指して走ります。

実はゴミの中に、綺麗にリボンで包装したいくつものプレゼントを隠しており、これがドム・シエロに届けられたのでした。

もちろん「ゴミ運搬」という職業に就けるユダヤ人はいませんし、ユダヤ人はほぼ全ての財産を没収されていますのでトラックなんて持っているはずもありません。これはポーランド地下抵抗組織(レジスタンス)からの贈り物でした。

 

◆夢の続き

コルチャック先生は、「未来の社会に希望が持てるとしたら、それは政治が良くなることではなく、人間が良くなることだから」と言っていたので、人間が良くなることを夢見たはずです。差別や争いのない世の中を夢に見て、子供の頃から異なる文化を持つ子と交流することを実践しようとしていたはずです。

その夢の続きを、私達は担うことができます

最も簡単な方法は、ホームステイではないでしょうか。

ホームステイは文字どおり、他の家庭に滞在することです。ホームステイにより、滞在先のご家庭の文化を理解することができますし、滞在先のご家庭もホームステイする人を理解しようと努めます。

ただ、ホームステイをするのは、それなりの金額がかかります。逆にホームステイを受け入れると、謝礼がもらえます。

また、今は戦時中ではありませんので、(オランダ人の家の屋根裏部屋に滞在していたアンネ・フランクみたいに)理不尽な苦労をする必要はありません。

ただ、ホームステイを受け入れる人も、ホームステイで受け入れてもらう人も、感じるストレスを減らすためには、それなりのコツがあります

 

日本ホストファミリー養成協会では、ホームステイを受け入れ始めたい方や、ホームステイを受け入れている方に、不安を解消し、より快適に楽しく受け入れのためのノウハウを提供しております。お問い合わせはお気軽にどうぞ。

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